「車検って、昔から今のような制度だったのかな?」
11年目のポロに乗っている私は、車検のことを調べているうちに、ふとそんな疑問を持ちました。
今では当たり前のように、
「車検は2年ごと」
「車検を受けないと公道を走れない」
と思っています。
でも、考えてみれば不思議です。
その答えを探していくと、意外にも日本の車検制度のルーツは、自動車が普及するずっと前の**「馬車」や「蒸気機関」**の時代にまでさかのぼります。
そして、時代が変わり、自動車が増え、事故や環境問題などが出てくるたびに、車検制度も少しずつ姿を変えてきました。
今回は、一般社団法人 日本自動車工業会の資料を参考に、
「日本の車検制度は、なぜ生まれ、どのように現在の形になったのか?」
を歴史をたどりながら見ていきます。
歴史を知ってみると、普段「高いな……」と思っている車検についても、少し違った見方ができるかもしれません。
- 車検のルーツは「自動車」ではなかった
- 明治時代、馬車にも検査があった
- 蒸気機関の時代が、日本の技術を育てていった
- そして日本にも「自動車」が登場する
- 1903年、愛知県で自動車に関する規則が生まれる
- 自動車が増えると「全国共通のルール」が必要になった
- 戦後、「道路運送車両法」が車検制度の大きな転換点に
- 車が増えると、車検制度も変わっていった
- 軽自動車にも車検が必要になった
- 新車の車検が「2年」から「3年」になった
- 1995年、車の「自己管理」という考え方が強くなる
- 現代の車検は、昔とは比べものにならないほど高度になった
- 車検は「車を見るだけ」の制度ではなくなっている
- 150年近くかけて「車検」は変わってきた
- 11年目のポロに乗る私が、車検の歴史を調べて思ったこと
- 車検制度は、これからも変わっていく
- まとめ|車検の歴史を知ると「高いだけ」ではなくなる
- 車検について、もっと知りたい方へ
- 参考資料
車検のルーツは「自動車」ではなかった
まず驚いたのがここです。
日本の自動車検査制度をたどっていくと、そのルーツの一つとして登場するのが馬車です。
今の私たちからすると、
「馬車と車検に何の関係があるの?」
と思いますよね。
私も最初はそう思いました。
でも、よく考えると共通点があります。
どちらも道路を走り、多くの人と同じ交通空間を利用する乗り物です。
つまり、
危険な状態の乗り物を、そのまま道路で走らせない。
この考え方自体は、自動車が登場する前から必要だったわけです。
明治時代、馬車にも検査があった
明治時代になると、日本でも近代的な交通機関が発達していきます。
その中で、乗合馬車などの交通手段も広がっていきました。
そして明治19年(1886年)には、
「乗合馬車取締規則標準」
が制定されました。
この規則では、馬車について新規検査や定期検査が定められていました。
なんと、年2回の定期検査も義務付けられていたとされています。
現在の車検とはもちろん違います。
しかし、
「道路を走る乗り物を検査する」
という考え方が、すでにこの時代から存在していたわけです。
今の車検制度を考えるうえで、興味深い出発点ではないでしょうか。
蒸気機関の時代が、日本の技術を育てていった
自動車が普及する前、日本では蒸気船や蒸気機関車などが登場しました。
幕末のペリー来航以降、日本は西洋の技術を急速に取り入れていきます。
造船や鉄道などの分野で機械技術が発達し、
「機械を安全に動かすためには、点検や検査が必要」
という考え方も蓄積されていきました。
今では車のエンジンやコンピューターを当たり前のように点検します。
しかし、その背景には、日本が近代化していく中で培われた「機械を安全に使う」という考え方があったのです。
そして日本にも「自動車」が登場する
時代が進み、自動車が日本にも入ってくるようになります。
すると当然、新しい問題が出てきます。
「こんな乗り物を、道路で走らせて大丈夫なのか?」
馬車とは違い、自動車にはエンジンがあります。
速度も違います。
車体の構造も複雑です。
万一、ブレーキなどに問題があれば、大きな事故につながる可能性があります。
そのため、自動車の普及とともに、交通ルールや検査制度も整備されていきました。
1903年、愛知県で自動車に関する規則が生まれる
明治36年(1903年)には、愛知県で日本初の成文化された「乗合自動車営業取締規則」が公表されました。
この規則では、蒸気自動車などについて、エンジン部分を含む技術的な要件や検査について定められていました。
まだ全国統一の制度ではありません。
しかし、自動車という新しい乗り物を社会の中で安全に使っていくためのルールが、少しずつ整えられていった時代です。
自動車が増えると「全国共通のルール」が必要になった
自動車が増えてくれば、地域ごとにバラバラのルールでは困ります。
そこで大きな転換点となったのが、
1919年(大正8年)
です。
この年、「自動車取締令」が制定されました。
内務省令として全国統一のルールが整えられ、
- 最高速度
- 自動車の構造
- 定期検査
などについて規定されました。
ちなみに当時の最高速度は16マイル/h。
現在の感覚からすると約25km/hです。
今の高速道路を走る車からすると、ものすごくゆっくりですよね。
でも当時の道路事情や自動車の性能を考えれば、それなりの理由があったのでしょう。
車の性能が変われば、ルールも変わる。
この考え方は、現在の車検制度にもつながっています。
戦後、「道路運送車両法」が車検制度の大きな転換点に
戦後になると、自動車を取り巻く制度も大きく変わります。
1947年(昭和22年)には旧道路運送法が施行され、自動車行政が警察から運輸省へ移管されました。
そして、
1951年(昭和26年)
大きな転換点が訪れます。
「道路運送車両法」
が制定されました。
現在の車検制度につながる重要な法律です。
ここから、自動車の検査が単なる事業の取締りだけではなく、
車そのものの安全性や構造、管理などを技術的な観点から確認する制度
として整えられていきました。
私たちが今受けている車検制度の土台が、この時代に作られたわけです。
車が増えると、車検制度も変わっていった
1950年代以降、日本では急速にモータリゼーションが進みます。
街を走る車がどんどん増えていきました。
車が増えれば当然、検査をする車も増えます。
すると今度は、
「国の検査だけで全部対応するのは大変じゃないか?」
という問題が出てきます。
そこで1962年(昭和37年)には、
指定自動車整備事業、いわゆる「民間車検」
の制度が創設されました。
現在、私たちが整備工場やディーラーなどで車検を受けられる背景には、この制度があります。
普段何気なく利用している「民間車検」も、実は車が爆発的に増えた時代に生まれた仕組みだったんですね。
軽自動車にも車検が必要になった
さらに自動車が普及していくと、軽自動車も増えていきます。
1973年(昭和48年)には、軽自動車の車検が義務化されました。
現在では軽自動車も普通車と同じように車検を受けるのが当たり前です。
でも、これも最初からそうだったわけではありません。
車が社会に占める存在が大きくなるにつれて、検査制度の対象も広がっていったのです。
新車の車検が「2年」から「3年」になった
ここは、現在車を所有している私たちにも関係する話です。
1982年(昭和57年)には、自家用乗用車の新車について、初回車検の期間が、
2年から3年へ延長
されました。
車の性能や耐久性が向上してきたことなどを背景に、制度も見直されていったわけです。
こうして見ると、
車検制度は「一度作ったら終わり」の制度ではない
ことが分かります。
車の性能。
道路事情。
自動車の普及状況。
社会の変化。
そうしたものに合わせて、少しずつ変化してきたのです。
1995年、車の「自己管理」という考え方が強くなる
さらに大きな変化が1995年(平成7年)です。
この頃には規制緩和が進められ、点検項目の簡素化などが行われました。
そして、自動車ユーザー自身による車の管理責任をより明確にする方向へと進みました。
ここは、現在の車検を考えるうえでも重要だと思います。
つまり、
「車検を受けているから、あとは何もしなくていい」
という考え方ではないということです。
車を所有している人自身が、日常的に車の状態を確認する。
定期的に点検する。
必要な整備をする。
車検は、その中の一つの大きな節目なのです。
現代の車検は、昔とは比べものにならないほど高度になった
そして現在。
車はさらに進化しています。
昔の車と現在の車では、同じ「自動車」でも中身は大きく違います。
現在の車には、
- 電子制御装置
- 各種センサー
- 衝突被害軽減ブレーキ
- 運転支援システム
- 電気自動車のシステム
- コンピューターによる車両制御
など、多くの高度な技術が使われています。
さらに自動運転技術の進化も進んでいます。
車が高度になればなるほど、
検査する側にも、より高度な知識と技術が必要になります。
車検は「車を見るだけ」の制度ではなくなっている
現在の自動車検査は、単純にブレーキやライトを見るだけではありません。
国際的な基準との調和も進み、不正改造車の排除なども行われています。
さらに検査データの電子化なども進み、
- 車両情報
- 検査データ
- リコール情報
- 不正車検の防止
など、さまざまな場面でデータが活用されています。
私たちが車検を受けるときは、単に「検査場で車を見るだけ」と思いがちです。
でも、その裏側では、かなり大きな仕組みが動いているんですね。
150年近くかけて「車検」は変わってきた
ここまで歴史を振り返ると、面白いことに気づきます。
最初は馬車。
そこから蒸気機関。
そして自動車。
自動車が増える。
事故や安全の問題が出てくる。
技術が進歩する。
環境問題が出てくる。
さらに電子化・自動運転へ進む。
そのたびに、
「今の時代に、この乗り物をどう安全に使うのか?」
という問題が出てきました。
そして、その答えの一つとして車検制度も変化してきたのです。
11年目のポロに乗る私が、車検の歴史を調べて思ったこと
ここまで調べてみて、正直、車検に対する見方が少し変わりました。
普段の私は、車検と聞けばまず、
「いくらかかるんだろう……」
です。
これは11年目のポロに乗っている私にとって、かなり現実的な問題です。
部品交換が増えてくると、
「まだ乗り続けるか」
「買い替えるか」
ということまで考えます。
だから、車検費用を見て「高いな」と思う気持ちは、これからも変わらないと思います。
でも、歴史を調べてみると、
車検は最近突然できた制度ではなく、長い時間をかけて形を変えてきたもの
だということが分かりました。
馬車の時代から始まり、自動車が増え、技術が進歩し、社会が変わる。
そのたびに安全のための仕組みも変わってきた。
そう考えると、いつも「高い」としか思っていなかった車検を、少し違う目で見られるようになりました。
車検制度は、これからも変わっていく
これからの自動車は、さらに変わっていくでしょう。
電気自動車が増えるかもしれません。
自動運転技術も進歩するでしょう。
コンピューター制御はさらに高度になるはずです。
そうなれば、
「今の車検制度のままでいいのか?」
という議論も出てくるでしょう。
車が変われば、検査の方法も変わる。
これは、これまでの歴史を見ても分かります。
明治時代の馬車を検査していた時代から、コンピューター制御された現代の車まで。
乗り物が変われば、制度も変わってきました。
おそらくこれからも同じです。
まとめ|車検の歴史を知ると「高いだけ」ではなくなる
車検について調べる前の私は、
「車検=2年に一度やってくる大きな出費」
というイメージが強かったです。
今でも、費用が安いとは思っていません。
ただ、その歴史をたどってみると、車検は単純な「お金のかかる制度」ではありませんでした。
馬車の時代から、
「道路を走る乗り物を、どう安全に管理するか」
という考え方がありました。
そして自動車が普及するにつれて制度が整えられ、現在の道路運送車両法につながっていきました。
車が進化すれば、車検制度も変わる。
社会が変われば、求められる安全基準も変わる。
そう考えると、車検とは、
「車を安全に使い続けるために、社会が長い時間をかけて作ってきた仕組み」
なのかもしれません。
もちろん、車検に合格したからといって、次の車検まで何もしなくていいわけではありません。
日常点検も必要です。
定期点検も必要です。
そして、異常があれば早めに整備することも大切です。
私も11年目のポロに、まだしばらく乗るつもりです。
次に車検を受けるときには、ただ、
「高いなぁ……」
と嘆くだけではなく、
「この車と、これからどう付き合っていこうか」
そんなことも考えながら、車検を受けてみようと思います。
車検について、もっと知りたい方へ
実際に11年目のポロの車検では、いったいいくらかかったのか。
そして、どんな費用が発生したのか。
こちらの記事では、私自身の車検をもとに、11年目のポロの車検費用を具体的にまとめています。
「古い車の車検って、実際いくらかかるの?」
そんな方の参考になればと思います。
→ 「ポロ11年目の車検費用|実際にかかった金額を公開」
参考資料
この記事では、一般社団法人 日本自動車工業会「JAMAGAZINE 2014年10月号」に掲載された、
特集「車検制度の歴史と自動車検査の意義・役割」
「自動車の『検査』とその変遷」
を参考にしています。
著者:株式会社交友社 代表取締役社長 小林英世 氏
掲載誌:JAMAGAZINE 2014年10月号
※この記事は、上記資料を参考に、車検制度の歴史を一般の方にも分かりやすいように整理・再構成したものです。


コメント